富士急行の森

100年前、荒れた溶岩地帯だった富士山麓。
富士急グループは「富士を世界に拓く」の創業精神のもと、
広漠とした原野に土を運び込み、森を育ててきました。

ここでは、富士急グループがつくり、育て、守ってきた森についての取り組みを紹介します。

富士山の森と
ともに生きる

日本を象徴する世界遺産・富士山は、古来より、神秘の宿る霊峰、芸術の源泉として、人々を魅了してきました。
そのふもとに広がる大自然を愛し、ともに生きる私たちは、富士山の美しい風景を未来に受け継いでいくことを使命としています。

富士山の森とともに生きる

多様な生物が
暮らす

富士山の森には、富士五湖をはじめとする湖や河川、噴火の影響でできた洞窟など、多種多様な地形があります。そこには多くの固有種が生息し、独自の生態系を形づくっています。

多様な生物が暮らす

伏流水の
恵みを授かる

富士山に降った雨は、富士山の地下をゆっくりと流れ、400年の時を経て地表へ湧き出します。
火山岩質の地層から溶け出したミネラルを豊富に含む清流は、人々に親しまれています。

伏流水の恵みを授かる

森づくりは
土づくりからはじまる

緑豊かな山麓は、自然の力だけでなく、人の力もあってのものです。かつて、岩肌がむき出しの荒れた風景が広がっていた土地に、私たちは土を運び入れ、数十万本の樹木を植えてきました。
そうしてできた「富士急行の森」。これからも世界中の人々に愛される場所になるように、富士急グループは取り組みを進めていきます。

森づくりは土づくりからはじまる

維持管理のための主な取り組み

富士急記念の森林(富士宮市)

森を育てるなかで、草木の新芽を好むシカの食害対策は喫緊の課題です。若手社員を中心とし取り組み、計画的な間伐も進めています。

シカの食害防止活動

企業の森(西桂町有林)

苗木の植樹を定期的に進めていきます。また、苗木の生育に十分な日光を当てるため、下草・ヤブ刈りも行っています。

企業の森(西桂町有林)での植樹活動

山中湖植樹用地(県有地)

植樹用地として、山梨県から約2.3ヘクタールの土地を借り、以来、100年近く植樹と手入れを行っています。

さがみ湖社有林

西湘フォレスト株式会社と施業委託契約を締結し、間伐を行っています。間伐材や国産材を活用した製品も制作・販売しています。

さらに詳しく活動を知りたい方は以下のリンクをご覧ください。

富士急行の森づくりの歩み

創業期1920〜

創業期1920〜

富士山麓電気鉄道創立

1926年9月、富士山麓の景勝を国内、海外に広く紹介するとともに、地域開発、環境保護に貢献したいとの高い志と理想を掲げて富士山麓電気鉄道株式会社(現・富士急行株式会社)を設立。開発の第一歩として交通網を整備すべく、本格的な電気鉄道の建設に着手し、1929年には大月駅~富士吉田駅間23.6キロメートルの鉄道営業を開始した。

東桂駅の様子

当時の東桂駅の様子
富士急行の事業は交通網の整備から始まった
「足を持った総合観光会社」のルーツである

1930〜

1930〜

富士ゴルフコース開業

1935年富士ゴルフ場(現・富士ゴルフコース)開場。
開発・発展に意欲的だった県からの要請を受け、富士山麓電気鉄道は山梨県内初のゴルフ場の建設を決めた。一般的なゴルフ場の建設では、森を切り開き、山を掘り崩す。しかし、富士山麓電気鉄道の観光開発は、まったく逆の方法を選んだ。真っ黒な溶岩原野に土を入れることから始まり、以降、数千本の木を植え、現在の緑豊かなコースをつくった。

ゴルフ場の航空写真

開業当時の航空写真
殺風景な溶岩地帯だった様子が伺える

ゴルフコース

まだ木もまばらなゴルフコース
ここから今の緑豊かなコースをつくり上げた

成長・躍進期1960〜

成長・躍進期1960〜

富士急ハイランドがグランドオープン

1960年5月、富士山麓電気鉄道株式会社から富士急行株式会社へ改称。鉄道会社のイメージから、運輸、観光を両軸とした会社へ歩み出した。
夏の観光地だった富士山麓を、四季を通じて楽しめる観光地に発展させるため、富士急行が選んだ建設地は居住地としても耕作地としても不適な溶岩地帯だった。
敷地内の溶岩塊の岩質は非常に堅固で整地作業は難航したものの、土を運び込み、樹高1~2メートルのアカマツが随所に生えるのみだった場所に、開発とともに、この地方に適った樹種のなかからツツジ、ナナカマドなどを随所に植樹することができた。スケートセンターを足掛けに、ホテル、スキー場を続けて建設。1969年には富士急ハイランドをグランドオープンした。

富士五湖国際スケートセンター

富士五湖国際スケートセンター(現・富士急ハイランド)
周囲は真っ黒な溶岩原野が広がっている

土を運び入れる様子

土を運び入れる様子

1970〜

1970〜

富士急行 50周年記念事業

1976年4月8日~15日までを緑化・美化運動とし、富士吉田市の植樹祭を皮切りに、地域社会の緑化のために学校、公園、神社、役場、警察など約30か所へ1,000本の苗木を寄贈した。また鉄道沿線各駅で市民に2,000本の苗木を配布し、富士急グループの事業地に6,000本の植樹を行った。

富士吉田市での植樹祭

1976年4月8日富士吉田市・金鳥居市民公園での植樹祭の様子
当時の富士吉田市市長・石原茂氏と、堀内光雄当社社長が手ずから木を植えた

1990〜

発展期
1990〜

富士宮市に「富士急記念の森林」を造成

1991年の富士急グループ65周年を記念して、「富士急記念の森林」事業を開始した。富士南麓の標高1,100mの国有林のうち2ヘクタールに造成するもので、富士山の自然植生に適合したフジブナ、フジヒノキ、小鳥が集まるフジザクラ、ヤマボウシなどの花の咲く木の植栽を行い、今でも富士急行の若手社員の行事として、この森の整備を継続している。完成は2051年。60年間かけて手がけていく事業である。

植樹に参加する堀内光一郎社長

60年間森を守るという責任と決意をもって、
堀内光一郎社長も植樹に参加

2000〜

2000〜

サステナブルな富士山を目指して

2000年以降、環境や社会的な問題への注目が高まり、サステナビリティという言葉も広く知られるようになった。しかし、富士急グループの思いは創業当時から何も変わっていない。富士山の自然環境を大切にしながら100年、その先へと事業を続けていくこと。今後も私たちは、地域への貢献や、環境に配慮した事業を進め、サステナブルな社会の実現を目指していく。

「PICAアウトドアファミリーDay in山中湖」

豊かな自然のなかでのアウトドア体験を通して子どもたちの学びと成長を応援する「PICAアウトドアファミリーDay in山中湖」

電気バスを用いたバスの乗り方教室

電気バスを用いて、地元の子どもたちに向けて実施したバスの乗り方教室